第70話:残り21日

 stola.のコートとかnoelaのコートとか、可愛いけど似合わないだろうなって避けている。こういうのが似合う可憐さやmaxmaraのコートが似合う華やかさを、私はどこに置き忘れてきたんだろう。荒れた顔面や脚の皮膚、がちゃがちゃした歯、左右差の大きい口元を見ては暗い気持ちになる。たいして頭も良くない。なんの取り柄もない生き物が鏡に映っている。

 

 ドッペルゲンガーを見たら死ぬという都市伝説はつまり、死神は自分自身の顔でやってくるってことだと思う。どうしようもなく孤独で、粗雑な扱いをされて悲しくて、山積みの洗濯物に座り込んで、どうにも出来ないほど落ち込み嗚咽する時、「今飛び降りれば辛い気持ちから解放されるよ」って声がする。私の味方は私しかいないという時、私の顔と声をした死神は、こういう時だけ優しく肩を抱いてくれる。

 

 一人で大抵のことは出来るし楽しめる。イルミネーションもカラオケもディズニーランドも行ける。でもたまには好きな人と一緒に楽しんでみたい。好きになった人に好かれることなんて、もう無い気がする。だったら、私を一方的に好きになってくれる相手がいたらいいのに。それか一緒に暮らしてくれる異性。努力して幸せになんかなりたくない。なんの対価も差し出さずに幸せになりたい。

 溺愛する対象がいることは、自分が愛されるより幸せなことだと思う。でももう疲れた。好きになってくれる人なら誰でもいい。一人で生きるといつ死神の誘いに乗っちゃうか分からないから、私をこの世に繋ぎ止めてくれるだけの理由、義務が欲しい。

 

 それが叶わないなら、東京、帰りたいな。帰って私と一緒に暮らしてくれる人と一緒に暮らしたい。なんとなく数年の付き合いがある異性ならもう誰でもいい。好きな人がいたら嬉しいけれどそんなの出来なさそうだから、せめて私を東京に帰してくれる人、婚姻届の紙切れ一枚書いて、異動のアリバイ作りをしてくれる人がいたらいいのに。

 

 ステージ4の膵臓癌でも見つかってくれるほうがマシだ。そうしたら、お別れの挨拶をする時間も取れる。疼痛コントロールしながらやりたいことやって、気に入った人と死ぬまでの間だけ結婚して、一緒に過ごして死ぬの。死神と心中するより健全な死に方だから誰も文句は言えないでしょう。願うくらいは自由なんだから、希望の死に方くらい記録させてもらうわね。

 

 30歳まであとちょっと。誕生日くらいは幸せな時間がみっちり詰まっていますように。