第65話:残り36日※映画のネタバレ含みます

 『ソードアート・オンライン プログレッシブ 星なき夜のアリア』を観ました。先週と今週の2回。

 1回で充分楽しかったし2回観るつもりはなかったんですけど、たまたま舞台挨拶ライブビューイング付き回のチケット余ってるの見つけちゃって。こういうライブビューイングは行ったことないし、1回目観てよく分かんなかったシーンが4箇所くらいあったので、課金しました。お土産にクリアファイルもらった。やったね!

 で、思ったんですよ。はー、ここの表現はあれと繋がってたんだ、ここでこのシーン挟まれたのはこういう意味だったんだ、この仕草はこういうことか、とか。分からなかったシーンの理由が全部分かった。そうしたら尚更、こうやって一つの物語を完成品として流通させるまでの、関わった人達の仕事に思いを馳せてしまって、いや凄いなって、それしか出てこなくなってしまった。

 声優さんはもちろんすごい。9年前にやったキャラクターをもう一度やるという偉業。劇伴もすごい。コボルドロード戦でキリトやアスナ、ミトがスイッチしていくところ、たぶんわざわざこれ用に編曲(編集?)し直して繋げてある。2回目で気付いて心が湧き立った。ミトがアスナに気付いてからボスを倒し切るまでの音楽と画面がもう最高でした。ずっと身体に力入りながら、なんか私も戦ってる気持ちで観てた。脚本の台詞考えた人もすごい。あともうよく分かんないけど、たぶん私の知らない分野ですごいことやってる人、淡々と必要なことを整えた人、いっぱいいると思う。ありがとうございます。皆さまのおかげで私はアスナというキャラクターをより知ることが出来たし、人と一緒に一個の作品を仕上げることの偉大さを、再び噛み締めることが出来ました。

 

 冒頭、あと少しのところで上の階層に行けなかったあのキャラクターはミトだったんですね。ベータテスト終了の合図の後、ミトは体育座りをしていたけど、これは落ち込んでいたのね。別のシーンで、夜にベッドの上で体育座りをするミトがいて気付きました。めっちゃゲーム好きじゃん。

 ミトがアスナに謝ろうとした場面で、アスナがミトの鎌にレイピアをコツンと当てる動作、1回目は「なんでこれで二人の心が通じ合うんだろ」ってわからなかったんだけど、あれは二人がパーティー組んで戦ってた時、背中を守り合って戦いに挑むシーンで出てきた動作と同じで、「一緒に戦ってるよ」と伝える意味があったんだなと。二人は和解した訳じゃないけど、背中を預けて戦ってるよって、アスナなりの赦しだったんだと思います。

 あと、ラストでキリトが悪役を買って出たシーン。キバオウ達に背を向けて歩いていくキリトを、アスナは「えっどういうこと?この人本当に信用していいの?本当は悪い人?」ってハラハラしながら見ていたと思うんですが、そこに、ボス戦前日に二人が会話した時の回想シーンが一瞬入ることで、「あ、大丈夫だこの人は信頼できる」ってアスナの気持ちが変わることに説得力が増してました。

 あとエンディング!1回目観た時はクレジットの確認に忙しくて「アニメ版一期のエンディング映像リスペクトかな」しか思わなかったんだけど、ちゃんと映画内でのアスナの変化、出会いの順番になってた!なるほど!

 

 前回の劇場版、『ソードアート・オンライン オーディナルスケール』も2回観たんだけど、それは裏話集みたいな来場者特典目当てなところが大きかったんですよ。もちろん映画は面白かったし、クライマックスでアスナが技を繰り出す時にユウキが一瞬映るシーンは泣いたし、主題歌の音楽(歌詞以外)は好みでした。映画を観て「作ったものに名前が残るって面白いな。私も20代のうちに、クレジット表記のある仕事を一個くらいやる」って目標を立てるきっかけになったし、ストーリーもすごく好き。

 だけど今回は今回で、一人のキャラクターの内面がどう変わっていくのか、一人だけで生まれた変化と人との関わりの中で生まれた変化、両方ともたくさん描かれていて、主題歌の歌詞はアスナのキャラソンなんじゃないかと思うほど合っていて、そういうのがたくさんの人の手で作られて今私のところに来ていると思うと、胸がいっぱいになった。

 

 私は今も昔も、流通する物語を作る側になったことはないし、作れるとも思えない。でも、ここまで大きな作品は無理でも、私は消費者以外の関わり方でチームに入ってみたいと思ってしまう。作品規模なんて関係なく、関わった作品が、それを受け取った人に爪痕を残す手伝いが出来たら嬉しい。

 私が好きで、比較的得意で、実現出来そうな関わり方は、音楽を作ることと翻訳(ローカライズ含む)をすること。翻訳は質を追えば追うほど高度な知的作業になるし、音楽は大量に作れる気がしないけれど、やってみたいの。いつか一つの作品を誰かと作るために、力を蓄えなくては。

 

 映画から帰ってきてからは、自分の身体の検査結果を引っ張り出してきて治療の計画を立てていた。再度検査して悪くなっていたら怖いなという気持ちと、もしそうだとしたら、今後誰かパートナーと一緒に暮らすのは諦めなくてはいけないかもしれないな、という寂しさと、知らない街のどの病院に行けばいいのかという不安とで落ち込んでいた。でもこうして今日の出来事を書いていると、気持ちが少し落ち着く。忘れそうになるけれど、やりたいことやわくわくすることが私にはまだある、って実感出来るのは嬉しい。

 

 「もう生き方なんて選べない。でも、死に方くらいなら選べる」「たとえ怪物に殺されて死んでも、この世界には負けたくない」って台詞が出てきたけれど、これは今後自分に言い聞かせたい言葉です。私もこの気持ちでやっていきたい。必要だって言うんなら、今まで頑なに避けていた養命酒だって飲んでやろうじゃないの。そのくらい、自分の幸せ追求に素直になっています。良い傾向です。