すずめの戸締まり、感想

 率直な感想としては「疲れた」の一言に尽きる。作品を観てもそうだし、Twitterで他人の感想をちらほら見てもそうだ。疲れた。公式で「緊急地震速報っぽい音が鳴るから気をつけてね」「地震描写があるからね」とアナウンスされていたのは知った上で映画館に行ったけど、まさかここまで東日本大震災を直接扱うとは予想していなかった。だったら最初からそうアナウンスしてよとさえ思う。

 

 だって『君の名は。』も『天気の子』も、起きていたのは架空の災害だったじゃん。架空のお話の中の緊急地震速報なら、それがどれだけ現実の緊急地震速報と似た音でも耐えられる。区別がつくし他人事だし、フィクションだもの。でも今回は、現実に起きた東日本大震災だった。これは全然違う。

 私が発災時に宮城にいたり、知人や知人の祖父母が津波の犠牲者というか安否不明のままだったり、あれからなんとなくずっと付き纏っている福島第一原子力発電所の恐怖があったりとか、そういうせいってのもある。なんていうか、11年かけて薄めてきた「震災によって、私やあの人やあの人の人生は捻じ曲がったのだ」という感覚を、無理矢理急に濃くされた感覚がある。

 

 鈴芽が岩手(だと思う)の後戸で聞いた沢山の「行ってきます」は、「ただいま」も「おかえり」も言えなかった人達を思い起こさせる。自分が体験したり聞いたりして知っている事実・現実に、物語の中で強制的に想像させられる状況が上乗せされるのはかなりしんどかった。

 

 あと、一瞬だったからあやふやなんだけど、芹澤や鈴芽達が北上する道中、鈴芽が「揺れた?ミミズがいるかも!」って車を降りて、そこにはいなくて車に戻ろうとするシーン、あれ福島県の沿岸で降りてることが分かる、スマホの位置情報が見えるカットがあるんですよ。で、芹澤が海のほう見ながら「この辺ってこんなに綺麗なところだったんだなー」って言って、鈴芽が「ここが……綺麗……?」って返すシーン、あのやりとりもつらかった。他所から来た人が言う「綺麗な場所ですね」に、震災前のその場所の様子を知っている人が「ここが?何言ってるの?」って反応をする「被災地あるある」を思い起こさせるのも辛いけど、ミミズはいなくて原発が右上にちらりと映るのも辛かった。双葉町は一部を除いて、まだ全然帰れない場所なんだよね。ミミズがいてくれたほうがまだよかった。

 

 岩手、宮城、福島の沿岸部などにゆかりのある人、東日本大震災から今までなんとなく続いてしまっている日常を受容しきれていない人、震災の記憶を忘れて人生を切り替えようとしてきた人が前情報無しに観ると、相当疲れると思います。今言えるのはそれくらい。

第82話:残り0日

 やりきった。20代駆け抜けた。楽しいことと辛いこと、僅差で辛いことのほうが多い10年だった。でも生き延びられた。災害や事件事故といった、意に反する死に方をすることもなかった。寒い冬の日に雨風を凌げる建物にいられて、威力は弱いけど暖房をつけて、布団の中でこうして文字を打てる幸せよ。空腹のあまりニベアクリームチーズに見えてくることも、天井の木目がこんがり焼いたベーコンに見えてくることもない。

 

 20歳の誕生日は大学1年のとき。東日本大震災の年に被災地から逃げるように入学した私は、既に出来上がっている人間関係に溶け込めず、サークルにも入らず、大学と寮の往復を繰り返していた。Facebookが流行っていた。中学の同級生と繋がって近況を知っては、何を学んでいるのか聞かれてもうまく答えられない自分がもどかしく、劣っているように思えた。震災を学問の対象として扱わなければならず、地元のことを極力考えたくなかった私には、それも辛かった。退学も考えたけれど、辞めたところでどうしたいかも分からなかった。逃げ場がなくて、大学へ向かう足取りは重くなり、後期はほとんどの単位を落とした。

 「逃げ場がないなら作るしかない」と腹を括ったのは年明けだった。既存サークルには馴染めないだろうからと、自分で新しいサークルを作った。他大学の同じ分野の人に話を聞いたり、自分の大学の人を対象にTwitterで募集をかけたりした。発足に必要なギリギリの人数で始まった組織は、今も細々と続いているそうだ。途中、トラブルを起こして空中分解しそうになったこともあったし、当時一緒に立ち上げた人たちとはもう一切連絡を取っていない。若干の寂しさが残るけれど、あの時の記憶や体験が自分を支えているのは間違いない。

 

 24歳から25歳になる年、逃げ恥が爆発的なヒットを飛ばした年の私は、台所で髪を洗い、どうやっても取れない部屋のカビ臭さにストレスを溜め、お湯を入れたペットボトルの湯たんぽで暖を取っていた。仕事を辞めて地元に帰ったはいいものの実家にいるのが辛く、一人暮らしをしていた。地方の非正規雇用は手取り13万とかがざらで、私もその一人だった。なんとか再び上京しようと就職活動の費用を貯め、何度も祈られ心を折られ、ようやく年末に希望の光が見えたのだった。私はすっかり忘れていたけれど、実は内定先の面接予定日に熱を出し、一度面接を延期してもらっている。あの時、採用担当だった元上司が延期を承諾してくれなかったら、私はどうなっていたか想像がつかない。

 

 29歳から30歳になる今年は、神様は20代の締めくくりに難易度を上げたとしか思えないくらい辛かった。無職の危機が再来し、婚約破棄まで乗っけられ、体調は悪いしメンタルは瀕死。運良く職にありつけたものの、知らない土地には馴染めないし友達も出来そうにない。文字にしたらこれだけなのに、もう今回ばかりは無理だ、生きていけない、と辛かった。

 

 それでもこうして布団の中で今、生き延びてよかったと思う。辛かったけれど、30代を生き抜くチュートリアルを充分過ぎるくらいやれた気がする。仕事に対する態度、恋愛の重み付け、自分がありたい姿の確立、全部出来た。これだけ厄災まみれの20代だったんだから、30代は神様だってバランスを取ってくれるはずだ。友人も恋人もいるに越したことはないけれど、まずは自分一人で自分を幸せに出来る範囲で頑張ろう。私はどうしたって私以外の人を生きられないのだから、この身体で、思い描く最大の幸せを掴むしかない。でも大丈夫、必ず手に入れるので無理することはない。私は私の好きな自分になるために無理せずやっていく。人生なんて欲張ってなんぼだ。

 

 ふと思い立って、20代の思い出が詰まっている街をいくつか歩いた。そのうちの一箇所にある百貨店でマニキュアを買った。背伸びではなく、自分にしっくりくるブランドのしっくりくる赤。ブランドを代表するのは香水だけど買ったのはそうじゃないところがいい。実用性を重視したところ、「私が新しいアイコンになってやる」くらいのメラメラした気持ちで選んだところ、Juice=Juiceの歌詞に出てくる「真っ赤で派手な爪」を思い出せるところ、ブランド創立者の人生に背筋を正してもらおうと思ったところ、全部ひっくるめて20代の締めくくりと30代の始まりにふさわしい、私らしい選択だと思っている。

 

 約半年間この日記を読んでくださった方々、本当にありがとうございました。コメントをくれた人、こっそり読んでくれていた人、どなたも私に安心をくれた大事な読者です。当初の予定通りこの日記は更新を終えますが、またネットの海で、もしくは現実で言葉を交わせるのを楽しみにしています。どうぞ、出来る範囲で健やかにお過ごしください。それでは。

第81話:残り3日

 仕事を頑張っています。具体的には、論理的な話し方・書き方ができない上司の仕事を全部引き継ぎつつ、上司の気分を害さないように仕事に関するお願い事をしつつ、自分の仕事もやる、という感じで頑張っています。

 あまりにも仕事をしないので、「お前の仕事全部かっさらって社内ニートにしてやろうか」という気持ち。上司が休みの日には「代わりに私が、出来る範囲で進めておきますよ」という体で上司の普段の仕事内容を把握し、私がやったら何にどのくらい時間がかかるか記録し、「ここを効率化したらこのくらいで終わりますよね?」と提案(だいたい面倒くさがって取り入れないけど)して、それでもだめそうなら現状を上の上司に相談する、ってことをしている。

 素の私は「は?今年からエクセル触り始めた初心者の私がググれば分かることを、なんでキャリア25年のあなたが分からないの?目の前のパソコンはインターネットに繋がってないの?」と本人に向かってオラオラしたくなるのだが、それをやったところで得られるのは私のすっきりした気持ちだけ。組織の一員である以上、私の担当業務遂行は勿論だが、職員のスキル底上げと良好な人間関係構築を最優先して、噛みつきたい気持ちは飼い慣らしながらお行儀よくやるしかない。そのほうが先々、私のメリットが大きいことも分かっている。でも慣れないことをやるのはしんどい。はあ。なんで上司の育成をしなきゃならんのだ。私の給料にお前の介護料金は含まれていないのだぞ。

 

 帰宅して家族がいるわけでもなく、抱いてくれる男がいるわけでもなく、近くに友達はいないしペットもいない。そんな毎日でまあまあ正気を保って働いているだけでも、けっこうすごいことなのかもしれない。でもやっぱり抱いてくれる男は欲しい。人体錬成に必要なのは水35リットルと炭素20キロ、あとなんだっけ。この際自分で錬成してやる。坂口健太郎似の人がいいです。

 

 明日の帰りはとびきり美味しいケーキを食べたい気分です。駅にあるかな。

第80話:残り5日

 トヨタのEVの発表と、パリ五輪開会式の演出案で、書こうと思っていた全てのネタが吹っ飛んだ。車を買うつもりなかったけどこれは少しワクワクする。五輪は言うまでもない。

 

 寒い一日だった。あたたかくして、日付が変わる前には寝よう。おやすみなさい。

第79話:残り6日

 クリスマスが近づいてきた。街や職場にツリーが出現し、タリーズのBGMはクリスマスソング。母校の点灯式動画、まだ見てなかったなと思い出し、帰宅してからYouTubeで動画を見た。あたたかみのあるイルミネーションは、画面越しに見ても、ほんのり心のわだかまりが解けるような気持ちになる。

 郵便受けを開けたら、大学時代に出会った友達からクリスマスカードが届いていた。直接会った回数はそれほど多くないけれど、Twitterでなんとなく互いの近況を知っている。その友達と周りの人たちに、来年もたくさんの幸せがあるといいな、と願った。本人にも言ったけど、この場を借りてお礼を。ありがとう!!!BIG LOVE!!

 

 クリスマスカードは年賀状ほどかしこまらず、突然の手紙より気軽。私もそろそろ準備をしなければ。送りたい人を思い浮かべてあれこれ考える時間は、すごく幸せで満たされた気持ちになる。大切な友人や知人の中には、もう連絡を取れない人たちもいる。その人たちには心の中で今一度感謝して、まだ言葉や感情を交わせる人には、それらを書き留めて送ることが出来るありがたみを噛み締めながら、ひとつずつポストに入れてきたい。

 

 楽しみだな、クリスマス。やっぱりクリスマス前のこの時期が一年の中で一番好き。

第78話:残り7日

 もうだめだ!と、家事代行サービスに食器洗いや段ボール箱まとめをお願いするつもりだった。でも見積もりをお願いしたら「一度お邪魔させていただき、見積もりを作成して、サービス実施になります」と言われしょんぼりしてしまった。

 で、少し元気が出てきたから、オンラインの大会配信を聞きながら約1時間半かけて、食器を洗い排水管を掃除した。立ちっぱなしは腰にくる。でも頑張った。ついでに風呂場の床と小物と排水溝、壁の掃除もした。今年の残り数日でやりたいこと、掃除したい場所を書き出したり、夜ご飯を食べたりもした。

 ただ、ここで間違えてはいけないのは「家事代行を使わないで自力でやったから偉い」わけではないということだ。たまたま元気が降ってきたからやっただけで、サービスを使ってお金で解決してもよかったのだ。大事なのは、どこにどんな頼れるサービスがあって、それを使うにはこのくらいの金額と時間がかかると把握しておくべきだと学んだこと。そういうお守りみたいな情報を持っておくと元気が降ってくる可能性があると知ったこと。お守りの有無は、生きやすさを左右すると思う。

 

 数年ぶりにかるたをした。この街に来てからずっと孤独が背中に張り付いていたけれど、擦り切れた畳に札をカラカラと並べ、並んだ1枚1枚を眺めていたら、なんだかとても心地よい落ち着きの感覚を取り戻した。

 そういえば大学の時もこんなことあったな。ずっとお互いに片思いしていた幼馴染と、家庭の事情でどうしても恋人にはなれないことをお互いに理解し合い、人生の終わりみたいな気持ちで地元から東京に戻ってきた春休みのあの日。半べそかきながら札を並べていたらなんだか落ち着いてきて、寂しくなくなってきたのだった。

 こんなに大事なことをなんで忘れていたんだろう。私は今まで、かるたをしている時は孤独じゃなかったし寂しくなかった。

 大学時代はかるたのおかげで交流する人が増えたり仲良しな人が出来たりしたから、寂しくないのはその記憶のせいかとも考えた。でもそうじゃない。断言できる。誰から何かを教わったわけでもなく、ただ自分だけの純粋な「楽しい」を見出した小学生の時の記憶と、「やってみたい」を持ち続けたのち、色んなものを打開するために一人でかるたを始めた大学時代の記憶、そして100枚との距離感。私の穏やかな気持ちを作ってくれる大きな柱はたぶんこの3つだ。

 

 人間の友達や知り合いは、これからまた増えたら嬉しいに越したことはない。でもあくまでもそれはおまけ。私はまず目の前の50枚と仲良くなりたい。失恋の悲しみも人生の儚さを嘆く気持ちも、ずいぶん昔からありふれていた人間の感情だ。辛い時はその1枚1枚に背中をさすってもらえばいい。なんとなくこの先に、豊かな人間関係も含めて、健やかで幸せな時間がたくさんある気がする。

 

 年明けから本格的に再開出来るように、年内はもう一度札をよく眺めよう。配置も思い出しておこう。ただいまみんな、長いこと待たせてごめんね。またこれから、仲良くしてね。

題77話:残り9日

 明日はお休み!!やったー!!

 という勢いで本屋に行き、普段は散財防止のために買わないようにしている紙の雑誌を買い、友達がくれた電子ギフト700円分で、スタバで甘い飲み物を頼んだ。しかも黒エプロンの店員さんだった。今日の私はすごくラッキーだった。

 

 明日は、少し寝坊して起きて、パジャマの手洗いをしたり、お風呂場の大掃除をしながら配達を待つ。ついでに、外注も考えていた皿洗いもやっつける。美味しいごはんも作ってみる。午後は、今日買ってきた雑誌や本を読みながら、残り少なくなった今年の計画と、来年の計画を立てよう。自分に惜しみない愛情を注ぎ、死神の誘惑を振り払うために時間を使おう。

 日曜日は、午前中は趣味の集まりを見学し、午後は仕事に関連する全国大会のオンライン配信を見る。どっちも今の私に必要なことだから、少し面倒だけどさぼりたくない。

 

 三歩進んで二歩下がる今日この頃だけど、確実に去年の今より潔い私にはなっている。この調子で幸せになりたいね。