第66話:残り32日

 観葉植物を買った。550円のアジアンタム。寒さや光に弱いらしいので、これからの季節は部屋の中の、日光に当たらない場所で過ごしてもらおうと思う。

 なんというか、心細くなってしまったのだ。職場で急に体調を崩し、安静時の脈拍112、いつもより50近く高い血圧を叩き出し、車椅子に乗せられて血液検査やら心電図やらをして、結局原因は分からなかった。医師には「過労じゃないの?」と言われた。「最近は残業も少ないし三食摂ってるし、比較的規則正しく生活してるのに」と、自分の身体の脆さが恨めしい。近々別部位の検査も控えているし、「こんなんで人生やっていけるのかな」って落ち込む。それで和やかな気持ちになりたくて、通りがかった花屋で衝動買いしたのだった。

 葉っぱがぴょんぴょん出ている鉢植えを抱えてバスに乗る姿は奇妙だったと思う。それでも今日の私にはこの緑の生き物が必要だった。実際に今、ベッドサイドに植物が見えることで、いくらか気持ちが落ち着くように思う。

 もっと身体が丈夫で健康だったら、もしそうだったら前の職場でもっと長く働けたんじゃないか。もっと前向きに仕事に取り組んで、その道や派生分野でキャリアを作って行けたんじゃないか。喉元過ぎればなんとやらとはよく言ったもので、当時のにっちもさっちもいかない苦悩は見ずに「こうできたんじゃないか」とぼんやりしている。

 

 友達には「君は無駄な罪悪感を背負い過ぎ」と言われる。でもやっぱり、前職を辞めたことに思うところはある。他の職種や職場についてはなんにも思わない。でもあの仕事だけは別だ。私の見識を広げてアイデンティティを作ってくれたあの仕事は別格。

 恐らく本人は無意識であろうため息(これは単純に深い呼吸をしているだけで、実際はなんの感情表現でもない可能性はある)がそこそこ多くて、机の上が一向に片付かないけど、意外と人の気持ちがわかって優しさのある元上司。私に対してめちゃくちゃ失礼なことを言ってきたけど、考えてることを聞くと新鮮だし、作ったものを見ると「ふーん、やるやん?」となったので一定のリスペクトはしていた元同僚。

 出会って早々「私、パピリオさんのそういうところ嫌いです」と言われカルチャーショックを受けたものの、成果物はたいていいつも着眼点が良くて、感謝も自分の不満もいい具合に人に伝えられてすごいなと思う、なんだかんだ最終的には一番仲良くなったんじゃないかと感じている元同僚。

 ここぞというときには感情を出すけれど、基本的にフラットで、前向きで、でも親しみのあるマネージャー。

 他にも、よく分かんないけどなんか色々やっててすごいなって思う偉い人とか、いつもテンション高くて笑顔のシステム担当とか、ほぼネイティブレベルで英語出来るのにそれは使わない領域で成果を出してる別部署のお姉様とか、本当に、大半が素敵な人たちだった。同業他社の人は9割が男性でびっくりしたけど、ユニークな人が多くて大好きだった。

 みんなお願いだから、私が死んだら通夜に来て欲しい。葬式は骨になってるけど、通夜ならなんかまだその辺に魂ありそうじゃない?そうしたら私も、誰が来てるか把握できそう。最後にまた会えたら悔いなく成仏出来る気がするんだよね(筆者注:これは私が近々死ぬかもしれないほど体調が悪いとかではなく、そりゃ絶対に生きてるうちに会って楽しい時間を過ごしたいけれど、そんなチャンスあるか分からないし、結婚式したら呼びたいし呼ばれたいけどそれもあるかどうか分かんないから、一番確実なのは葬儀だなと思って書いています。今の私は健康に幸せに長生きするつもり満々です)。

 

 あのとき一緒に働いたり遊んだりしてくれた人たちに忘れられたくないんだろうな。結局のところそれに尽きる。

 過労疑惑の身なので、今日はこの辺で。おやすみなさい。