第53話:残り94日

 定価1500円の飾り付きヘアゴムが割り引かれて450円になっていたとき、「消耗品だけど贅沢しちゃお」と逡巡せずに買えるくらいの余裕。これが今の私にとって、贅沢かつ幸福度の高いお金の使い方なんだと思う。

 30歳記念に長く使えるジュエリーを買うか長らく悩んでいる。手元にあるコスチュームジュエリーすら使う習慣が無いのに、買って使うのか? 飽きるほど鑑賞するのか? すぐそこに人道的な危機に晒されている人がいるのに、それでも買うのか? 同じお金で実現出来ること(例えばその金額を本や漫画、楽器のレッスン・練習場所代、旅行の費用、友達とのお茶代や何か面白いことに使うこと)と天秤にかけても価値があることか? などと考えると踏み切れなくて、でも清水の舞台から飛び降りるのもなんかしっくりこない。

 母はいわゆるブランド品に全く、本当に全く興味がなかった。誰かから頂いた物は有り難く取っておいたり使ったりしているようだけれど、自分で大金叩いて買い求めるのを見たことがない。もちろんそれは我が家のお財布事情もあってのことだろうけれど、それにしても着飾ることに頓着が無いように思う。

 「アクセサリーは遠目でしか見ないんだからイミテーションでいいのよ。その人が着けてるなら本物なんだろう、と思わせるような人間であることが大事。でも、本物と偽物を見分ける目は持っておいて損はないわね」という母の言葉は良くも悪くも私を縛る。名代として書道やお花の展覧会、初釜などに行ったり、自分が舞台に立ったり、そういうある程度の装いが求められる機会があったのだから、装飾品が必要になる頻度は私より遥かに高かったと思われる。「今時は自分のためのおしゃれって選択もあるんだよ」と言いたくなるが、母の考えも理解出来る。堂々巡りである。

 で、私は昨日、割り引かれたヘアゴムを買ってすごく幸せで満ち足りた気持ちになってしまった。ははーん、要するに、高価な装飾品を買おうか悩んでいたのは、なんとなく停滞している毎日に風穴を開けたかっただけなのだ。高いお金を払えば「晴れやかな気持ち」が買える訳ではないと学べてよかった。なんだか前にも、同じような学びを得たような気がするけれど。

 

 「ブランド品を身に付けるより、身に付けた物がブランド品になる方がかっこいい」というのは母の言葉だったかどうか忘れた。願わくば数十年後の自分が、同じ信条で生きていますように。おやすみなさい。