第54話:残り93日

 明日も明後日も仕事だけど、月末に急遽4連休が爆誕したのでごきげんです!うわーい!やったーい!何しようかな!積読はめちゃくちゃあるし、自宅にある本のリスト作りも半分残ってるし、観たいアニメも映画もある。早くエクセルマスターになりたいし、4日じゃ足りない!

 

 高校の同級生の話。お互いの考え方や感じ方、趣味嗜好は違うけれど、付かず離れず交流を続けてかれこれ15年になる。LINEや通話をしては好き勝手に話し、聞いてるんだか聞いてないんだか分からないような反応をして時間を過ごす、というのをまあまあな頻度でやる相手だ。恋愛感情があるかと聞かれれば、世間で言われるような情熱的な感情は、私にはない。でも、(少なくとも私は)一緒に話していて苦ではないから心地よくいられている。嫌なことや失礼だと感じることがあれば素直に言うし、冗談も言うし、褒めるべきところは褒める。なんというか、お互いを見る目がフラットで、人間と人間のやりとり、という感じがして安心するのだ。

 最近マッチングアプリを始めて思ったのだけど、「相手を異性として見る」って感覚、私にはやっぱりどうも掴めない。顔の造形、そりゃあ芸術品みたいに美しい人はいるし、整った顔を見ると「整った顔だな」と思う。でもいわゆるときめきというものが、顔の作りや属性や肩書きでそこまで喚起されないのだ。

 今いる街が嫌すぎるから、プラスマイナス6歳かつ一都三県に住んでいる人でフィルターをかけた。更に、音楽や物語の摂取が趣味の人でフィルタリングして、自己紹介文を読んでいいねを押していく。当たり障りのない文字のやりとりをして、当たり障りのない対面の会話(オンライン)をする。これで何に惹かれろというのか。分かるのはせいぜい猫被りの上手さくらいだ。だいたい、フィルターで濾されて残った選りすぐりから一人を決める時、決め手はきっと属性や項目にはない。「私はハッシュタグと付き合いたいわけじゃないんだよ!人間を理解したいんだよ!」と言いたくなる。

 30人そこらのクラスメイトでさえ、相手の哲学やこだわり、歪みを理解出来るまでに1年は短すぎた。なのになぜ、マッチングアプリや相談所では短期間でカップルが成立し、しかもそれが長続きして結婚なりなんなりして、さらに人生のパートナーとして死ぬまで協力し合える結末があると、多くの人が期待し信じているのか。

 私達はマッチングアプリの何にお金を払っているんだろう。払っているのは「素敵な人と出会う機会の獲得代」なんかじゃなくて「恋人がいない・結婚相手がいないことで感じる引け目や劣等感を正面から見なくて済む代」「なんか知らんが人生を進めている気分にしてくれる代」なんじゃないか。実際私も、マッチングアプリを始めてからは「恋人いないけど、作るために前向きに努力してるし」みたいな安心はどっかにある。でもこれって健全な感情か?本当は違うんじゃない?まやかしの進捗感じゃない?とも思う。

 マッチングアプリ経由で結婚した例を身近に2件知っている。どちらも順調に関係を維持しているし幸せそうだ。うち一組はマッチングから3ヶ月での結婚だった。でもこれはものすんごいレアケースだろう。2件とも、人と仲良くなるのに時間がかからないタイプ同士だったからうまくいったのであって、人間関係を作るのに時間がかかるタイプにとって、マッチングアプリは救世主にならない気がする。

 

 2017年に話題になったゼクシィのキャッチコピーは「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」だった。誤解しないで欲しいが、そういう結婚をした人を否定するつもりは毛頭ない。誰か一人を思い思われ選び選ばれというのは素敵だし感動する。ただ、気持ちの高まりがなくても、一緒にいて居心地が悪くない、いい友達である相手と、肩組んで歌い踊るような関係性のままパートナー契約を結ぶのも悪くないんじゃないの、と思う。もっと言えば、もしかして長期的に見るとすごく理想的なのでは?とさえ思うのだ。

 

 ま、全部私の勝手な考えだから、相手がどう思うかは知らないけれど。

 

 「30歳になってお互い独身だったら、妥協してお互いで結婚しようぜ」という陳腐な約束の有効期限はいつまでなんだろう。これで本当に結婚したら、それはそれで面白い。さてどうなることか。人生はネタだらけ、である。