第55話:残り90日

 小学校高学年の頃、季節行事で一番好きなのはクリスマスだった。寒くて暗い雪国の冬は、健康な人でも憂鬱な気分になると聞く。そんな季節でもわくわくしていられたのは、クリスマスのおかげだと思う。

 理由には、クリスマスソングが好きだったこと、誕生日が近いから、なんだか私のために街がキラキラしているみたいで嬉しかったこともある。町内会の子ども部主催でケーキを食べたり、学校の「お楽しみ会」に向けて友達と出し物を考えたりするのも楽しかった。

 一度、母がクリスマスに合わせて家の玄関を装飾してくれたことがあった。小さなツリーとリース、キルトで出来た赤いタペストリーが玄関を入ってすぐ正面にあって、家がすごく素敵な場所になった気がした。学校も楽しければ家も楽しい、そんな思い出を得られたのは、今振り返ると本当に恵まれていたと思う。

 

 今日は一日に嬉しくなることが何個もあって、「あの時のクリスマスシーズンみたいだ」と思った。久しぶりになんの憂いもない二連休の初日というだけでも嬉しいのに、今こうして布団に入るまで全部、本当に全部嬉しいことだらけだった。

 いつもと同じ時間に起きてシャワーを浴びて、洗濯機を回しながら朝ごはんを食べた。洗濯物を干し、2回目の洗濯をしながらゴミをまとめ床にコロコロをかけ、食器を洗ったあと、「今日こそは」と決めていた、友達が先日贈ってくれたマニキュアを塗った。

 偏光パールのマニキュアは初めてで、瓶で見た時と塗った時の色が違うこと、光の加減で色が変わることを実感して、なんだか嬉しくなった。シンクも洗面台もピカピカにしてコンビニのコーヒーを買いに行った後、宮城にいる友達と久しぶりにLINEをして「壁一面の本棚が欲しい」「今、ローテーブルを探していて」「オカムラのシルフィーって椅子があってね」と近況を伝え合った。

 コインランドリーに行って幾つかの洗濯物を乾燥機にかけた。200円の贅沢が出来るようになった幸せを噛み締めながら手元を見ると、さっきとまた違う色をしていた。部屋の照明、洗面所のオレンジ色のライト、太陽光、コインランドリーの明かり、それぞれ種類が違うから光り方も変わるみたいだ。すごく楽しいし、おしゃれだと思った。贈ってくれた友達に感想とお礼を伝えた。

 Go!プリンセスプリキュアの変身BGMがApple Musicにあることを発見した。ダウンロードしたから、これでいつでもどこでもプリキュアに変身出来るようになった。

 日が翳ってきた頃、大きくて色の濃い月が目に入って「今日はベランダで月を見ながら夕食にしよう」と思い立った。脚立を椅子代わりにしてANA機内食を食べ、あたたかいお茶を持ちながら空を眺めた。雲は確かに形を変えるし、東から西へ流れていた。夕焼けはグラデーションで、まだほんのり太陽の明るさが残っているのに、ぽつぽつと星が見えた。

 知人から連絡が来てメッセンジャーを開いたら、縁切榎の絵馬が映っていた。散歩をしていて出くわしたらしい。以前私が「お散歩のついでにでもどうぞ」と言ったのを覚えてくれていたようだ。連絡があったことそのものも、覚えていてくれたことも嬉しかった。

 暗くなってもぼんやり空を眺めていた。月にも眩しい時期があること、夜空は黒じゃなくてかすかに青いことなどを発見した。私にゆっくり静かに流れる時間があることをフォロワーの人が喜んでくれて、喜んでくれる人がいることに嬉しくなった。

 ある友達が「糖分」を送ってくれたそうなので配達を待っていたら、配達の人がちょっと嫌な態度を取る人で悲しくなった。でも飲み込まず、お客様相談センターに電話して「嫌でした」と伝えて、嫌なことを嫌と言えるようになった自分にびっくりした。箱を開けたら砂糖(ちょっとおしゃれな砂糖)が入っていて、「本当に糖分そのままじゃん!」と笑ってしまった。フォロワーさんが本棚の情報を教えてくれた。日記に嬉しいコメントも書いてくれた。

 8月は疲労と忙しさで空腹感が分からず、最低限ミネラルと水は摂らねばと塩を舐める日もあった。それと比べて今は、お腹も空くし朝昼晩食べて、夜は眠い。一人静かに自然を眺める時間も、人と触れ合う時間もあって、爪は楽しくてコインランドリーは幸せで。辛いことや不安なことが一個もない日が大人になってから訪れるなんて思ってなかった。今でも信じられていない。

 

 私は、嫌だったことや怒ったことを詳細に覚えているし思い出せる。でも楽しかったことや嬉しかったことは、確かにそこにあったはずなのに、思い出そうとしてもすぐには出てこない。記憶も、輪郭が緩いぼやぼやしたものだったりする。

 だから今日みたいに幸せな気持ちでいっぱいの日は、いつかちゃんと思い出せるように記録しておきたい。幸せな記憶を増やす練習をして、なんだか私の人生楽しいなって思い続けたい。

 

 半年前の私へ。仕事を探して思い切って引っ越ししてくれてありがとう。相変わらず街並みや街の人は好きになれないし隣の部屋はうるさいけれど、首都圏や地元、インターネットで出来た人間関係があなたを助けてくれるよ。ふてくされて何もしない選択肢もあったのに、気持ちがついていかなくても行動しなきゃと、回避してくれてありがとう。へろへろになりながらも暮らしを繰り返してくれてありがとう。

 私今、独りぼっちなんかじゃないよ。