第45話:残り125日

 先週木曜日から体調不良が続いていた。頭痛めまい吐き気が急に来て、慌てて酔い止めの薬を飲んでやり過ごしたり、どうにも頭の痛さが無くならなかったり。今日は耐えられない痛さだったので急遽仕事を休ませて貰った。今、はちゃめちゃ忙しいのは身をもって知っているので、休んでしまった罪悪感がすごい。

 きっと、そんなタイミングで友人の結婚報告を聞いたもんだから異常にメンタルが削られたんだと思う。昨日は夕方から日付が変わって2時くらいになるまで、延々と泣いてはやみ、泣いてはやみを繰り返していた。流石に誰かに助けてほしくて心療内科の初診予約に行ったんだけど、なんかめちゃくちゃ失礼な態度を取られて、頭に来て「じゃあいいです」と外に出てしまった。悲しくて「誰も私の味方をしてくれない」と泣きながら自転車を漕いだけれど、心のどこかで「こんなもんだよな」と考える冷静な自分もいた。ますますこの街が嫌いになった。あんな態度取る病院、こっちから願い下げだ。Googleのクチコミに悪態ついてやりたいくらいだ。書かないけど。

 それでも、こういう時に必要な漢方薬を買ってきて飲んで、帰宅したらお風呂に入ってご飯を炊いて、洗濯機回して洗濯物を干して、この間気持ちの良い接客をしてくれたタクシーの運転手さんへのお礼の電話と、気にかかっていた人に「最近どうですか?」の連絡をして。昨日手につかなかった細々したものを一個ずつ片付けられた。

 半年前の私に同じことが起きたら、こんな早くここまで回復しなかっただろう。そもそも、この忙しさの中で生活を放り出さずに続けていて、毎日お弁当と水筒を持って出勤しているし、シンクだって綺麗なまま、ゴミの日にゴミを出せているし、お風呂にも入っている。気付かないうちに、悲しいことや辛いことへの対処がうまくなっているのかもしれない。

 友達は結婚しても友達のままだし、私と彼女の関係性が壊れるわけでもない。今私が感じている気持ちの中には「同じ状況を分かち合える友人がいなくなった寂しさ」があるけれど、そもそも彼女と私が置かれている状況が同じだったことはないだろうし、冷静に考えると、存在し得ない寂しさを感じていることになる。「安心出来る場所があることへの羨ましさ」は、「結婚=幸せな生活」という思い込みから来ているし、彼女が結婚したことで私の生活から失われるものは何一つない。悲しくなる必要なんかどこにもないのに、昨日はなんであんなに泣いていたんだか。

 

 一人でいると自分のことしか考えなくなってしまって、心配も不安もずっとそこにあり続けてしまう。でも、恋人や家族、一緒に暮らす人がいれば、相手の心配が出来て、自分のことから目を逸らすことが出来る。これは一人暮らしにない利点だし、楽しいだろうな、と思う。

 明日出勤したら、どうしたら東京に異動出来るか、条件を人事に聞いてみるつもりだ。目標を達成するために、努力の方向性を間違えないように。人目を気にしている場合ではない。なりふり構っていたらこの幸せは手に入りにくくなる。私が不幸になるような真似、私は絶対にさせない。