第52話:残り97日

 コロナ禍になる前はひとりカラオケ常連だったし、その前はインターネット歌うたいお姉さんとして「歌ってみた」をやっていた。歌うことは、普段浅くなりがちな呼吸を健やかに戻し、楽しい気持ちにさせてくれる、私にとって数少ない趣味の一つだったんだと思う。緊急事態宣言中はカラオケも開いてないし、今住んでる壁薄物件で歌うのも憚られるので、何時間も歌うことはしばらくやっていない。

 代わりに、手当たり次第にYouTubeSpotifyApple Music、Twitterradikoを使って、色んなジャンルの音楽を聴く時間が増えた。元から好きだった歌手、作曲家の音楽ももちろん聴く。でも、同じかそれ以上の時間を、全く知らなかった人や曲を探すことに費やしている。

 インターネットは「あなたへのおすすめ」を簡単に教えてくれてありがたいけれど、移動や交流が制限されるこのご時世、まったく響かない、良さが分からないものとの出会いが極端に減って出来た穴までは埋めてくれない。

 音楽も物語もそうだけど、鑑賞者が同じでも、その人の状態によって響く時とそうでない時がある。昔読んで理解出来なかった本の面白さが数年後に分かる、好みじゃなかった音楽が好きになるなんて、世の中にありふれていると思っていた。でもそれは「選り好みしないで色んな物語に触れる」という段階を踏んでいないと出来ない体験で、そしてこの世の中、そういう体験を積んでいくのは結構難しくなっているんじゃないだろうか。

 多読多聴(こう書くと単語帳みたいだ)が正義だとは思わないけれど、何が好きで何が嫌いで、その理由はこうで、みたいなことを知るためには必要だと思う。

 好きなものが分かっていて、スタイルが確立しているのは美しい。そうした、年齢を重ねたからこそ作れる美しさと、浅く広くを求める好奇心とは両立出来ると信じたい。ここまで書いて気がついたけど、私が理想としている人物像は恐らくそういうおばあちゃんなんだろうな。持ち場が定まっていて、でも知らないことにぱっと面白がって飛び込んでいける精神の両立。やっていけるかな。やっていきたいな。やっていきます。

 

 音楽の話をしようと思っていたけど、思いつくまま書いていたら全然違う話になってしまった。まあでもこれは文字を書くリハビリも兼ねているし、気負わずいきましょうかね。老後は明日来る訳じゃない。なりたいおばあちゃんになるまでの時間はたっぷりあるし、文章書く時間も、音楽を聴く時間もたくさんある。楽しく生きるには、のんびり構える、が肝心です。