第49話:残り113日

 今月の残業時間が60時間を越えそうな勢い。道理で疲れが取れない訳だ、と思っている。今月は、多い時には1日1万8000歩も歩くような生活を繰り返してきた。委員会や会議の準備、議事録作成、何故か頼まれたゴーストライター、どうにも進まない上司の業務分解&マニュアル作成の代打、のように事務的な仕事もしつつ、突発的に入る診察依頼、入院依頼(本当に文字通り24時間不意打ちで入る)、毎日の検査対応やら誘導やら、なんやかんやでてんやわんやな毎日だ。

 体力がないほうなのは自覚しているから、この緊急事態についていくために、最近は職場近くのビジネスホテルに泊まっている。業務命令ではなく自腹。明日は一旦自宅に帰って、家事をこなしてまたホテルに戻るつもりでいる。

 頭痛、腹痛、脚の痛み、眠気、手の震え、全然続かない集中力に、必要以上に鋭くなる耳。全部疲労の影響だろう。なのに、病院にかかる時間が取れない。今日からメディキュットとサロンパスを投入した。少しはましになるのを祈る。

 

 でも、ものすごく頭を使って何かを生み出さなければならないプレッシャーもないし、ノルマもない。体力的には辛いけれど、メンタル面の辛さはまだそこまで感じていない。対応する患者が「○○に旅行した」「帰省した」「彼氏の家に遊びに行った」せいで陽性になったとしても、苦い思いをすることもなくなった。

 世の中にある、普遍的で、守り続けることが良しとされる価値観。そういうものの砦になりたくて、私はこの仕事場に来ることを決めた。

 能力や人間性と肩書きが釣り合わない人間も、物忘れをすれば「○○さん(筆者のこと)は頭良過ぎておかしくなっちゃったんじゃない?」と嫌味を言ってくる人間もいて、本当に面倒だと思う。イライラする時もある。でも、私が淡々と働き綺麗事を貫く態度を変えないことで、守りたい価値観を守れるのなら、そしてそれに賛同してくれる味方をこの場所で増やせるのなら、やはり淡々と働くに限る。

 

 競技かるたで格上の相手を倒す時の自分はいつも、邪念がなくて、明鏡止水の状態だった。なんの音も文字の残像も感情もない空っぽの、少しふわふわとした感覚の中に、すっと詠みの音が入ってきて札を取る、その繰り返し。息を吸う音の時点で、詠まれる一文字目が分かる時もあった。振り返ればそれは、いわゆる「ゾーン」というものだったのかもしれない。

 今の私が戦う相手はもちろん感染症なのだけれど、直接の敵は、組織の人間たちへの怒りや、疲労や眠気によるイライラだと思う。根本的な原因を取り去るのが難しい今、応急処置として「ゾーン」に近い状態を作り続けて対応している。というか、いつのまにかそんな風に出来るようになっていた。穏やかで、周りの状態も良く見えているけれど、それにイライラも喜びも感じるのを意図的に遮って、精神的な疲労が溜まるのを防いでいる状態。身体の不調はあるけれど、今の心は多分、今までの職業人生の中で一番低ストレスな気がする。

 

 大学生アルバイトに「鬼滅の刃で言うとしのぶさん、呪術廻戦で言うと五条先生みたいな強さが欲しい。五条の女じゃなくて五条先生になりたい」と言ったら、「疲れてますね。本当に無理しないでください」と言われた。……やっぱり疲れてるのかも?