第69話:残り26日

 「自分の機嫌を自分で取れ」とか「置かれた場所で咲きなさい」などの言説が嫌いだ。社会生活を送る上で負の感情を必要以上に出さないほうが円滑にいく、というのは理解出来る。でもああいう言説、今にも爆発しそうな張り詰めたメンタルの人に向けられることが多いから、「それは、不機嫌を表明している人のことをあなたが見ると、あなたが嫌な気持ちになるからそう言ってるんですよね?違います?そうなんだったら、あなたこそ自分の感情をコントロールしてはいかがですか?」と皮肉を言いたくなる。

 人間の感情は、その人がどうこうってよりその人が今いる環境や、これまで置かれてきた環境によって作られる部分が大きいように思う。だから、親しい人でイライラしてる人や鬱っぽい人がいたら、「こわ、近寄らんとこ」よりかは「どんな環境に置かれているのか」を気にするべきだと思う。

 

 自分の機嫌を自分で取るべく、ちょっと豪華なお寿司を宅配してもらったのに、元気が出なくて一個も食べられず、全部無駄にしてしまった。洗濯物を干さなきゃなのに、洗濯機が終わっても取り出す気力が出ず、結局3回洗って、ようやく干すことが出来た。

 

 きっと、分からない人には分からない感覚だと思う。それは別に構わない。でもだったら、分からない人には黙っていてほしい。少なくとも、そういう状態にいる人を責めたり怖がったりすることはしないでほしい。対岸の火事だと思えるお気楽な頭で生きていけばいいと思う。その人に、いつか同じ状態になってほしいなんて思わない。ただ、その人の大切な人が同じ状態になった時、その人はどんな反応をするんだろうな、というのは気になる。人はどこまでを他人と認識して自分から切り離し、どこからを自分に近い存在と見做して心をざわつかせるんだろうね。

 

 家事も仕事もやっつけて、私は今日も生き延びました。爆美女になって好きな街で好きに生きるために、明日も日銭を稼ぎましょう。

第68話:残り27日

 私の、私による、私のための創作をしようと思う。私は締め切りを設定しないと動けないので、目標は来年のM3。文フリも考えたけど、物語の創作はやっぱりどうも苦手意識がある。いや、音楽だって同じかもしれないけど。

 出来はこの際どうでもいいの。作る行為をするのが大事。毎日を、作品を作る前提で生きるのが大事なの。創作は人の「死にたい」を加速させることもあるけれど、生きたいか死にたいかを考える暇を無くしてくれる間に時間が進んでて、「気づいたら半年生き延びたな」ってさせてくれる作用もあるからちょうどいいと思った。

 これやろう、これ作ろうってアイデアはあるから、あとはちょっとずつ形に出来れば。さあどうなるかな。人生やることいっぱいだ。

第67話:残り31日

 知人が結婚した。大学は違うけれどサークル関連で知っていて、就職はなんと私の地元だった人。結婚後も今の職場がある街で暮らすらしい。

 首都圏出身の人が私の地元に根付いていることが衝撃で、体調悪くて横たわりうとうとしていた眠気も、結婚の報告を受けて一瞬で消えた。あんな街にわざわざ!?首都圏の人が住みたいと思うもんなのか!?という驚き。

 まあでもあれか、結婚相手がいる街ならどんな街でも魅力的ではあるか。それにあの街も、今私が住んでる街に比べたら、時間も人も穏やかだし悪いところばかりじゃないもんなと思いつつ、やっぱり驚きは驚きだ。

 

 でもちょっとだけ嬉しかった。私が育った街も悪いところばかりじゃないって、その人の目に映ったんだなって。首都圏に比べて電車はないし本屋はないし、お店もないし仕事もない、若者もいないし無い物だらけ。あ、果物畑と山、川、温泉はある。

 そんな場所にいることを、あの賢い知人が選んだ。別に街を選んだんじゃないだろうけど、でもそれがなんだかとっても嬉しかった。

 

 私や私の家族が持つ地元情報、古いものもあるでしょうが、使えそうなものがあったら使ってください。なんでもお伝えします。なんにも知らない私が開いたクリスマス練習会に来てくださったこと、お世辞でも「詠みが聞きやすい」と言ってくださったこと、雪の日に一回、地元の居酒屋でご飯を食べたこと、どれも嬉しかった思い出です。本当におめでとうございます。どうかこれから楽しいことがたくさんある人生になりますように!!めでたい!!

第66話:残り32日

 観葉植物を買った。550円のアジアンタム。寒さや光に弱いらしいので、これからの季節は部屋の中の、日光に当たらない場所で過ごしてもらおうと思う。

 なんというか、心細くなってしまったのだ。職場で急に体調を崩し、安静時の脈拍112、いつもより50近く高い血圧を叩き出し、車椅子に乗せられて血液検査やら心電図やらをして、結局原因は分からなかった。医師には「過労じゃないの?」と言われた。「最近は残業も少ないし三食摂ってるし、比較的規則正しく生活してるのに」と、自分の身体の脆さが恨めしい。近々別部位の検査も控えているし、「こんなんで人生やっていけるのかな」って落ち込む。それで和やかな気持ちになりたくて、通りがかった花屋で衝動買いしたのだった。

 葉っぱがぴょんぴょん出ている鉢植えを抱えてバスに乗る姿は奇妙だったと思う。それでも今日の私にはこの緑の生き物が必要だった。実際に今、ベッドサイドに植物が見えることで、いくらか気持ちが落ち着くように思う。

 もっと身体が丈夫で健康だったら、もしそうだったら前の職場でもっと長く働けたんじゃないか。もっと前向きに仕事に取り組んで、その道や派生分野でキャリアを作って行けたんじゃないか。喉元過ぎればなんとやらとはよく言ったもので、当時のにっちもさっちもいかない苦悩は見ずに「こうできたんじゃないか」とぼんやりしている。

 

 友達には「君は無駄な罪悪感を背負い過ぎ」と言われる。でもやっぱり、前職を辞めたことに思うところはある。他の職種や職場についてはなんにも思わない。でもあの仕事だけは別だ。私の見識を広げてアイデンティティを作ってくれたあの仕事は別格。

 恐らく本人は無意識であろうため息(これは単純に深い呼吸をしているだけで、実際はなんの感情表現でもない可能性はある)がそこそこ多くて、机の上が一向に片付かないけど、意外と人の気持ちがわかって優しさのある元上司。私に対してめちゃくちゃ失礼なことを言ってきたけど、考えてることを聞くと新鮮だし、作ったものを見ると「ふーん、やるやん?」となったので一定のリスペクトはしていた元同僚。

 出会って早々「私、パピリオさんのそういうところ嫌いです」と言われカルチャーショックを受けたものの、成果物はたいていいつも着眼点が良くて、感謝も自分の不満もいい具合に人に伝えられてすごいなと思う、なんだかんだ最終的には一番仲良くなったんじゃないかと感じている元同僚。

 ここぞというときには感情を出すけれど、基本的にフラットで、前向きで、でも親しみのあるマネージャー。

 他にも、よく分かんないけどなんか色々やっててすごいなって思う偉い人とか、いつもテンション高くて笑顔のシステム担当とか、ほぼネイティブレベルで英語出来るのにそれは使わない領域で成果を出してる別部署のお姉様とか、本当に、大半が素敵な人たちだった。同業他社の人は9割が男性でびっくりしたけど、ユニークな人が多くて大好きだった。

 みんなお願いだから、私が死んだら通夜に来て欲しい。葬式は骨になってるけど、通夜ならなんかまだその辺に魂ありそうじゃない?そうしたら私も、誰が来てるか把握できそう。最後にまた会えたら悔いなく成仏出来る気がするんだよね(筆者注:これは私が近々死ぬかもしれないほど体調が悪いとかではなく、そりゃ絶対に生きてるうちに会って楽しい時間を過ごしたいけれど、そんなチャンスあるか分からないし、結婚式したら呼びたいし呼ばれたいけどそれもあるかどうか分かんないから、一番確実なのは葬儀だなと思って書いています。今の私は健康に幸せに長生きするつもり満々です)。

 

 あのとき一緒に働いたり遊んだりしてくれた人たちに忘れられたくないんだろうな。結局のところそれに尽きる。

 過労疑惑の身なので、今日はこの辺で。おやすみなさい。

第65話:残り36日※映画のネタバレ含みます

 『ソードアート・オンライン プログレッシブ 星なき夜のアリア』を観ました。先週と今週の2回。

 1回で充分楽しかったし2回観るつもりはなかったんですけど、たまたま舞台挨拶ライブビューイング付き回のチケット余ってるの見つけちゃって。こういうライブビューイングは行ったことないし、1回目観てよく分かんなかったシーンが4箇所くらいあったので、課金しました。お土産にクリアファイルもらった。やったね!

 で、思ったんですよ。はー、ここの表現はあれと繋がってたんだ、ここでこのシーン挟まれたのはこういう意味だったんだ、この仕草はこういうことか、とか。分からなかったシーンの理由が全部分かった。そうしたら尚更、こうやって一つの物語を完成品として流通させるまでの、関わった人達の仕事に思いを馳せてしまって、いや凄いなって、それしか出てこなくなってしまった。

 声優さんはもちろんすごい。9年前にやったキャラクターをもう一度やるという偉業。劇伴もすごい。コボルドロード戦でキリトやアスナ、ミトがスイッチしていくところ、たぶんわざわざこれ用に編曲(編集?)し直して繋げてある。2回目で気付いて心が湧き立った。ミトがアスナに気付いてからボスを倒し切るまでの音楽と画面がもう最高でした。ずっと身体に力入りながら、なんか私も戦ってる気持ちで観てた。脚本の台詞考えた人もすごい。あともうよく分かんないけど、たぶん私の知らない分野ですごいことやってる人、淡々と必要なことを整えた人、いっぱいいると思う。ありがとうございます。皆さまのおかげで私はアスナというキャラクターをより知ることが出来たし、人と一緒に一個の作品を仕上げることの偉大さを、再び噛み締めることが出来ました。

 

 冒頭、あと少しのところで上の階層に行けなかったあのキャラクターはミトだったんですね。ベータテスト終了の合図の後、ミトは体育座りをしていたけど、これは落ち込んでいたのね。別のシーンで、夜にベッドの上で体育座りをするミトがいて気付きました。めっちゃゲーム好きじゃん。

 ミトがアスナに謝ろうとした場面で、アスナがミトの鎌にレイピアをコツンと当てる動作、1回目は「なんでこれで二人の心が通じ合うんだろ」ってわからなかったんだけど、あれは二人がパーティー組んで戦ってた時、背中を守り合って戦いに挑むシーンで出てきた動作と同じで、「一緒に戦ってるよ」と伝える意味があったんだなと。二人は和解した訳じゃないけど、背中を預けて戦ってるよって、アスナなりの赦しだったんだと思います。

 あと、ラストでキリトが悪役を買って出たシーン。キバオウ達に背を向けて歩いていくキリトを、アスナは「えっどういうこと?この人本当に信用していいの?本当は悪い人?」ってハラハラしながら見ていたと思うんですが、そこに、ボス戦前日に二人が会話した時の回想シーンが一瞬入ることで、「あ、大丈夫だこの人は信頼できる」ってアスナの気持ちが変わることに説得力が増してました。

 あとエンディング!1回目観た時はクレジットの確認に忙しくて「アニメ版一期のエンディング映像リスペクトかな」しか思わなかったんだけど、ちゃんと映画内でのアスナの変化、出会いの順番になってた!なるほど!

 

 前回の劇場版、『ソードアート・オンライン オーディナルスケール』も2回観たんだけど、それは裏話集みたいな来場者特典目当てなところが大きかったんですよ。もちろん映画は面白かったし、クライマックスでアスナが技を繰り出す時にユウキが一瞬映るシーンは泣いたし、主題歌の音楽(歌詞以外)は好みでした。映画を観て「作ったものに名前が残るって面白いな。私も20代のうちに、クレジット表記のある仕事を一個くらいやる」って目標を立てるきっかけになったし、ストーリーもすごく好き。

 だけど今回は今回で、一人のキャラクターの内面がどう変わっていくのか、一人だけで生まれた変化と人との関わりの中で生まれた変化、両方ともたくさん描かれていて、主題歌の歌詞はアスナのキャラソンなんじゃないかと思うほど合っていて、そういうのがたくさんの人の手で作られて今私のところに来ていると思うと、胸がいっぱいになった。

 

 私は今も昔も、流通する物語を作る側になったことはないし、作れるとも思えない。でも、ここまで大きな作品は無理でも、私は消費者以外の関わり方でチームに入ってみたいと思ってしまう。作品規模なんて関係なく、関わった作品が、それを受け取った人に爪痕を残す手伝いが出来たら嬉しい。

 私が好きで、比較的得意で、実現出来そうな関わり方は、音楽を作ることと翻訳(ローカライズ含む)をすること。翻訳は質を追えば追うほど高度な知的作業になるし、音楽は大量に作れる気がしないけれど、やってみたいの。いつか一つの作品を誰かと作るために、力を蓄えなくては。

 

 映画から帰ってきてからは、自分の身体の検査結果を引っ張り出してきて治療の計画を立てていた。再度検査して悪くなっていたら怖いなという気持ちと、もしそうだとしたら、今後誰かパートナーと一緒に暮らすのは諦めなくてはいけないかもしれないな、という寂しさと、知らない街のどの病院に行けばいいのかという不安とで落ち込んでいた。でもこうして今日の出来事を書いていると、気持ちが少し落ち着く。忘れそうになるけれど、やりたいことやわくわくすることが私にはまだある、って実感出来るのは嬉しい。

 

 「もう生き方なんて選べない。でも、死に方くらいなら選べる」「たとえ怪物に殺されて死んでも、この世界には負けたくない」って台詞が出てきたけれど、これは今後自分に言い聞かせたい言葉です。私もこの気持ちでやっていきたい。必要だって言うんなら、今まで頑なに避けていた養命酒だって飲んでやろうじゃないの。そのくらい、自分の幸せ追求に素直になっています。良い傾向です。

第64話:残り42日

 ソロウェディングをしなくたって、20代最後の今より35歳の私の方が綺麗に決まっている。私は先日、35歳の私を幸せにするって決めたのだ。5年後にどうなっていたいか考えるなんて鬼が大草原不可避だけど、今よりずっとずっと豊かで幸せな自分でいたいとは思う。

 若いほうが綺麗なんて嘘だ。歯並びのガチャガチャした20代と矯正した30代だったら、30代のほうが絶対に綺麗だ。長年のコンプレックスを解消した後のほうが、いい顔してるに決まっている。

 遺影ももう撮ってある。大学卒業時、袴や着物をレンタルしたり、実家から振袖を送ってもらう代わりに、新宿伊勢丹の写真館で撮った写真。ちょっと歯並びの悪い本仮屋ユイカみたいな写真に仕上がっていた。葬式ではこれを使ってもらう。だから今はソロウェディングはいいや。ドレスは最高に身体を仕上げて着たほうがかっこいいもの。やっぱり今じゃないよねタイミング的に、と、やっと結論づいた。

 

 ソロウェディングをやるとしたらだいたい10万くらいの予算を考えていた。この分はパーソナルトレーニングに充ててもいい。肌の治療に充ててもいい。時間を買ってもいい。何やってもいいけど、今の人生を楽しくすることに使おう。貯金じゃなく、投資でもなく。

 

 イライラしている。誰かの努力が実ったとき、その人を支える親しい人がいればいるほど、「周りに助けてくれる人がいるなら出来て当然だ」と捻くれてしまう。

 一人で、本当にたった一人で頑張れる人なんて一握りなのだ。ほとんどは応援する親しい友達や家族や理解者がいる。私はその一握りになれるとはあんまり思えない。でもなれるかどうか考えている暇はない。やるしかない。

 別に難関資格を取るとかそういうんじゃない。毎日きちんと歯磨きするとか、ちょっとでも本を読むとか、3食たべるとか、好きなことを勉強するとか、ストレッチしてから寝るとか、簡単なこと。自分を幸せな気持ちにしてくれる工程をサボらないこと。自分を、自分の力だけで幸せな35歳の私に連れて行くことを、諦めないこと。たったそれだけの簡単なことを、明日から毎日続けるだけのこと。

 

 もう誰も近づかないで欲しい。どうせいつまでたっても私は一人なんだから、せめて孤独を飼い慣らすための時間くらい、私から奪わないでくれ。

第63話:残り45日

 帰省した。ちゃんと帰ったのは2年半ぶりくらい。自然豊かでのんびりしていて、いい時間だった。

 でもそれと同じくらい、「閉じ込められている感」があって、それに気付いたら今過ごしている街に帰ってきてもその感覚が抜けなくて、今私は仕事終わりに、鬱々とした気持ちになっている。

 田舎に帰れば結婚は出来そうだ。でも結婚したからってなんなのだ。漫然と毎日を過ごして、生まれ育ちに囚われた暮らしをして、それのどこが幸せなのだ。親族の介護を見据えて帰って、じゃあ私は何のために生きてるんだ。文化文明の中心地に根を張るために生きてきたのに、何が楽しくてわざわざ田舎に帰らなきゃならないんだ。

 かと言って、高齢の親や相続問題をほったらかしておくのもばつが悪い。こういう時、一人っ子は不自由だ。兄弟姉妹がいれば役割分担が出来る。一人で全部背負わなきゃならないのは本当に勘弁してくれと思う。

 

 いつだって隣の芝生は青い。いくら自分の庭を耕し種を撒き実がなっても、欲しい実じゃなければあんまり嬉しくないのだ。それを「贅沢だ」と言う人とは、たぶん価値観が相容れない。

 自分にとって何が幸せで優先順位はどうつけるのか、全然分からなくなってしまった。こんなことなら帰らなければよかった。