第78話:残り7日

 もうだめだ!と、家事代行サービスに食器洗いや段ボール箱まとめをお願いするつもりだった。でも見積もりをお願いしたら「一度お邪魔させていただき、見積もりを作成して、サービス実施になります」と言われしょんぼりしてしまった。

 で、少し元気が出てきたから、オンラインの大会配信を聞きながら約1時間半かけて、食器を洗い排水管を掃除した。立ちっぱなしは腰にくる。でも頑張った。ついでに風呂場の床と小物と排水溝、壁の掃除もした。今年の残り数日でやりたいこと、掃除したい場所を書き出したり、夜ご飯を食べたりもした。

 ただ、ここで間違えてはいけないのは「家事代行を使わないで自力でやったから偉い」わけではないということだ。たまたま元気が降ってきたからやっただけで、サービスを使ってお金で解決してもよかったのだ。大事なのは、どこにどんな頼れるサービスがあって、それを使うにはこのくらいの金額と時間がかかると把握しておくべきだと学んだこと。そういうお守りみたいな情報を持っておくと元気が降ってくる可能性があると知ったこと。お守りの有無は、生きやすさを左右すると思う。

 

 数年ぶりにかるたをした。この街に来てからずっと孤独が背中に張り付いていたけれど、擦り切れた畳に札をカラカラと並べ、並んだ1枚1枚を眺めていたら、なんだかとても心地よい落ち着きの感覚を取り戻した。

 そういえば大学の時もこんなことあったな。ずっとお互いに片思いしていた幼馴染と、家庭の事情でどうしても恋人にはなれないことをお互いに理解し合い、人生の終わりみたいな気持ちで地元から東京に戻ってきた春休みのあの日。半べそかきながら札を並べていたらなんだか落ち着いてきて、寂しくなくなってきたのだった。

 こんなに大事なことをなんで忘れていたんだろう。私は今まで、かるたをしている時は孤独じゃなかったし寂しくなかった。

 大学時代はかるたのおかげで交流する人が増えたり仲良しな人が出来たりしたから、寂しくないのはその記憶のせいかとも考えた。でもそうじゃない。断言できる。誰から何かを教わったわけでもなく、ただ自分だけの純粋な「楽しい」を見出した小学生の時の記憶と、「やってみたい」を持ち続けたのち、色んなものを打開するために一人でかるたを始めた大学時代の記憶、そして100枚との距離感。私の穏やかな気持ちを作ってくれる大きな柱はたぶんこの3つだ。

 

 人間の友達や知り合いは、これからまた増えたら嬉しいに越したことはない。でもあくまでもそれはおまけ。私はまず目の前の50枚と仲良くなりたい。失恋の悲しみも人生の儚さを嘆く気持ちも、ずいぶん昔からありふれていた人間の感情だ。辛い時はその1枚1枚に背中をさすってもらえばいい。なんとなくこの先に、豊かな人間関係も含めて、健やかで幸せな時間がたくさんある気がする。

 

 年明けから本格的に再開出来るように、年内はもう一度札をよく眺めよう。配置も思い出しておこう。ただいまみんな、長いこと待たせてごめんね。またこれから、仲良くしてね。