第1話:残り181日

 年齢はただの数字と言うが、悲しいかな現代の日本では、20代と30代の間には大きな壁がある。なんとなく「30歳までに○○したい」と、30歳をひとつの区切りとして捉える雰囲気は、アラサーなら多少なりとも感じたことがあるはずだ。特に結婚に関しては多くの人が、その先に出産・子育てを想定していることもあってか「30歳までにしたい」と言う人が多いように感じる。でもそれは、必ずしも前向きな思いから出てくる考えではなく、「30歳までに〇〇しなければ」という焦り、謎の恐怖から出てくるものの場合もある。俗に言う「29歳問題」である。

 

 例に漏れず、私も「29歳問題」を抱える一人だ。約半年後に30歳の誕生日を迎える。予定ではそれまでに恋人と籍を入れ、慎ましく穏やかに暮らし、35歳までに第一子を設けるはずだった。婚約もして、式場も考えて、あとは親への挨拶のみ、といったところで、全てが振り出しに戻ってしまった。

 

 人生なんてままならないことだらけだとは理解していたけれど、こうも理不尽な形で婚約がご破算になると「まじか」という驚きと困惑が強くて、うまく適応できない。毎日気を緩めると泣きそうになるし、実際、仕事を終えて帰宅して一人になれば泣いていることのほうが多い。今まで私は、別れた恋人からもらった物を捨てる人たちを「物に罪はないのに」と理解できずにいたけれど、とんだ勘違いだった。物は楽しかった記憶や幸せな時間を思い起こさせて、現実と比べさせて、辛さや惨めさを膨れるだけ膨れさせた挙句、地獄に置き去りにする。元婚約者がくれた、誕生石がついたネックレスはとてもお気に入りだった。物としては好きだけれど、箱を開けたり見たりするのはどうも辛い。身に着けてしまえば、私はこの理不尽さを呪って時間を過ごすだけの生き物になってしまいそうで、このネックレスで自分を飾ることに躊躇している。

 

 これではいけないと分かっている。でも辛いものは辛い。

 

 今年の4月から、仕事の都合で縁もゆかりもない北関東に住む羽目になった。これもまたしんどさの原因になっている。とにかく辛い。

 

 自分の住んでいる街を政令指定都市だと思い込んでいる、行政から出向している役職者。コロナを「菌」と認識する課長。「私はこの日に地震が来ると思います」と、オカルトな予言を根拠に言い放つ災害担当者。「東大卒は使えない」と、自分が相手の能力を理解し引き出す力がないだけではないかという点に思い至らない、学歴コンプの同僚。何事も自分のところを通さないと気が済まない人間。常に不機嫌な態度を取るお局様。「あれ俺」自慢と仕事の愚痴が会話の大半を占める、話の長い上司。

 

 街路樹が貧相で、空き店舗だらけで、風情がなくて、平べったくて森もなくて車社会で、ローカルな文化を作る土壌もなくて、見栄っ張りで思慮深さがなくて、なんの面白みもない町。田舎にもなりきれず、都会にもなりきれず、生存するのは可能だけれど、潤いのある暮らしをするには何もかもが足りなさ過ぎる町。北関東はヤンキーしかいないと聞いていたけれど、確かに品性と知性が圧倒的に足りない人間が多い。見た目の問題ではない。ふるまいにおいて、である。

 

 気に入らない。

 

 東京が日本で最高の都市とは言わない。それでも、知性のある人が多くて、公共交通機関が発達していて、よく探せばどこかに必ず居場所があって、住み心地のいい都市だった。自分の好きな街と好きな人をいっぺんに失ったのだ。こんなの正気でいられるほうがおかしい。

 

 板橋の縁切り榎に「来世ではあの人と一緒に暮らさせてください」と頼んだから、今すぐ死んでも神様は、どうにかしてそうしてくれると思う。来世がないとしても、死んだ人間が文字通り自然に還っていくのだとしたら、今死ねば元婚約者の身体の一部を構成する要素になれる可能性もある。だったら、29歳問題に怯えて生きながらえる必要なんてあるんだろうか。「若いうち」に死んだほうがお話として綺麗な終わり方ではないか。そう思うのはあながち間違いでもない気がする。

 

 

 このブログは、30歳の誕生日を半年後に控えた人間が、辛すぎる現実を前に自分をだましながら健やかに幸せに生きていくための活動、略して「生活」に勤しむ様子を記録するものです。毎日なにかしらのことは書いていきたいと思います。